そのまんま知事

  • 2009/07/10(金) 19:56:37

お馬鹿な宮崎県知事が中央に出馬すると言う。


お馬鹿な宮崎県知事は、
すでに、県民の声が聞こえなくなっている。
いや、国政に打って出ようとするなら、
国民の声も聞くべきだ。

多くの人が賛成していない事実を知らないのだろうか?
だれも、そのことを彼の耳に入れてあげないのだとしたら、
彼は、すでに、周囲から一個の人として見放されているのだろう。

票集めの駒として
耳に心地良いことしか聞かされていないのだろうか?
それとも、彼に人々の目が集中していることを利用して
何かが行われているのだろうか・・・

もともとタレントだった彼には
政治の実績がない。
政治家だけでなく、
どんな仕事だって、
その本質を知るには時間が掛かる。
これまでずっと政治の世界に居たわけでも無いのに、
知事としての任期の一期分すら勤め上げられなくて何の実績と言えるだろう。

いや、その前に、
彼に、知事としての実績が見えてこないのだ。
テレビではとてもよく見かける。

あれほどテレビに出ていて、
何時、知事としての職務をしているのだろう?
それも、宮崎のテレビじゃなく、
多くが、東京での収録の番組。
仕事の合間に出来る量ではない。
いや、今の状態を見ると、
宮崎のPR活動の合間に知事の仕事をしているように思える。

たぶん、彼は、
宮崎の物産や観光のPRに勤めているおつもりだろうと思う。
そうすることによって、
宮崎県をアピールすることが、
彼なりの手法だと思っていることだろうと思う。

それが間違っている。と言うのではないが、
物事には程度と言うものがある。
本来やるべき職務と言うものがある。
宮崎の物産や観光のPRだけが、知事の仕事ではないだろう。
知事だからえらそうにしろ。
というわけではないが、
少しは重みと言うものがなければ、
宮崎県民も、胸を張って、

おらが知事!

と言えないような気がする。

今、知事を辞任して国政に出れば、
宮崎県民にすら、見放されてしまうだろう。

人間、自分の立つべき位置。
と言うものを知るのはとても大切なこと!

自分の立つべき位置。
自分に課せられた職務。
自分の期待される行動。
自分のもつ可能性。

それらは、時には矛盾するだろう。
しかし、これらのことを知りながら別のことを選択することはあるだろう。
が、
これらのことを知らず、

いや、
これらのことに目をつぶって進んでいくのは
とても危険なことだと言う気がしてならない。

宮崎知事の行動を見ていて、
自分自身を省みることの大切さを再確認させられた。
反面教師として、感謝を。

犬の幸せ

  • 2009/07/09(木) 08:20:06

犬にとって、幸せな状況ってどういうものだろう?

私が人生で最初に出会った犬は、
先祖返りしたスピッツの ロン だった

ロンは、スピッツの兄弟の仲にただ一匹
真っ白な毛並みは同じなのだが、
なんとなく体つきが違っていた。

今考えると、サモエドの血が出てきていたのではないか?
と思われる節がある
最近、本物のサモエドを見たが、
ロンにそっくりでびっくりしてしまった。

そのロンは、
私が生まれてしばらくしてから我が家にもらわれてきた犬だった。
どうも、私の犬好きは生まれつきのようで、
犬にものすごい興味を示す赤子のために、
父が、わざわざもらってきてくれたのだ。

田舎では、今でも、子供と同じ年に生まれた子犬を飼うと、
その子の厄を持って行ってくれる。と言う迷信があった。
そんな迷信も一役買って、
父は、大嫌いな犬を飼ってくれたらしい。
もっとも、
その後も生き物ならなんにでも興味を示す私のために、
亀、うさぎ、猫、せきせいいんこ、チャボ・・・
かなりな生き物が、幼少期の私の周りには居た。

ロンは、その時代の犬らしく、
当然のように、庭に鎖でつながれていた。
大きな木があったのだが、その根元に犬小屋があり
その周辺がロンの縄張りだった。
半世紀も昔の話、
散歩とは名ばかりで、私のお供をさせられる毎日。
夕方になると、鎖を放されたロンが、遊びに夢中で時間も考えていない私を迎えに来たものだった。
「ロンが迎えに来たよ。帰らんと行かんよ。」
と、よく言われたものだった。

台風の夜。
さすがに外はかわいそうだ。と、
土間に入れてもらったロン。
翌日の朝、気が付くと、土間の出口の敷居の下に大穴を開け、
外で尻尾を振っていた。

父の転勤に伴い、
官舎に入った我が家は犬を飼うことができず、
ロンはそのまま母の里に残されて、おじ一家が飼ってくれた
おじ夫妻は、私たちが住んでいた家に、住んだのだ。
遊びに行くたびに、大歓迎してくれるロン。
ロンの体からは、お日様のにおいがしていた。

19年の寿命を全うし、
と言いたいが、19歳、老犬となったロンは芽が見えなくなった。
それでも、律儀に歩道を歩いていたのだが、
ある日、歩道に乗り上げた車にはねられて虹の橋を渡った。

私は、今、犬を飼っている。
我が家の3匹は、それぞれに性格も違う面白さがある。
我が家では、基本的に、お留守番時は外に出す。
庭をフェンスで囲ってあり、
犬たちは自由に過ごす。
雨が降れば、6畳の洗濯ヤードに犬用のソファーがおいてある
星竜は基本的に洗濯ヤードのソファーで
さんごは外に置いた犬小屋の屋根の上で
愛竜は訳も無く常に走り回っている
フェンスには穴が開き、そこから首がにょきっと出ている。




私たちが帰宅すれば、
犬たちも家に入る。
私たちの御飯がすめば犬の御飯。
深夜に、公園まで散歩。
フリスビーを投げる、投げる、投げる
犬たちが走る、走る、走る

この子たちは幸せなんだろうか?
ロンは、
終生、日中は鎖につながれていたけど、
特別な何かをしてもらっていたわけではないけど
家族のみんなから愛され、
そして、自分が愛されていることを知っていた
そして、ロン自身もとても満ち足りていたと確信できる。

今、そのころのロンより、すっと自由度の高い我が家の犬たちが
ロンと同じくらい満足してくれているだろうか?
時々、ふと、ロンを抱っこした時の
あの、お日様の香りを思い出すことがある。
あんな香りを、我が家の犬たちは持つことが出来ているのだろうか?




犬を屋内で飼うことについて、
必ずしも、それが犬にとっていいことだと思うことは出来ない。
もちろん、都会において、それがベストなのは理解できる。
私がもし、都会に居住すれば、完全屋内飼いをするだろう。
でも、
やはり、
私は、犬に一番似合うのはお日様の香りだと思う。
もともと野山を駆け、仮をして生きてきた犬が、
その血の中にある記憶がなくなる事は無いだろう。
可能であれば、
私は、いぬに、家の中で留守番させたいとは思わない。
だから、田舎ぐらしを止めることができないのだが・・・・

最近、ネットで、完全屋内飼いを条件とした犬の里親募集を見るにつけ、
環境にあった飼い方というものがあるんじゃないかな?
と思わずには居られない。
農家で、その家の主人と一緒に畑をめぐる日々も、
犬にとっては、楽しい日々だろうと思う。
たとえ、そのためには夜は牛小屋で寝なくてはならなくても。
飼い主と一緒に汗を流すことの出来る環境は、
家の中で留守番をさせられるより
飼い主と一緒のベッドで寝ることより、
犬にとっては楽しいのではないだろうか?
そして、私の周りには、そういった環境がたくさんある。
それは私にとっては実に幸せなことなのだと
つくづくこのごろ思う。




しかし、愛竜だけです。
こんな風にフェンスから首を出すのは・・・・
時々、「あ、犬の首が生えている。」
と言う子供の声が聞こえてくる・・・・